【翻译】太宰治《食通》

*“吃一大堆又便宜又美味的东西,难道还有什么比这更好的事情吗。”

    

《美食家》

文/太宰治

译/月海

    

    听说所谓美食家是指大胃王。现在我虽然不行,但以前相当能吃。那段时间里,我总是认为自己是个美食家。檀一雄等朋友们假装一本正经地告诉我,所谓美食家就是大胃王。看见我把关东煮、豆腐、炸豆腐丸子、萝卜、然后又是豆腐按这样的顺序无限地吃下去,檀君瞪圆了眼睛,心悦诚服地夸我相当美食家。我又告诉了伊馬鵜平君这个美食家的定义,他听了之后渐渐面露喜色,说,我说不定也是美食家呢。伊马君从那之后和我一起喝过五六次酒,果然他也是个货真价实的美食家。

    

    吃一大堆又便宜又美味的东西,难道还有什么比这更好的事情吗。当然没有。换言之,这正是美食家的奥义啊。

    

    新桥的关东煮店里,曾有个年轻人,吃烤大虾的时候,用筷子灵巧地剥出虾肉,还被老板娘表扬了。明明是难为情的事,却反而装作若无其事的样子。还有,刷地一下剥开虾壳,吃相太难看了。看上去太傻了。用手剥壳有什么不好的。在俄罗斯,就算是咖喱饭,似乎也是直接用手抓的。

 

    

食通

 食通というのは、大食いの事をいうのだと聞いている。私は、いまはそうでも無いけれども、かつて、非常な大食いであった。その時期には、私は自分を非常な食通だとばかり思っていた。友人の檀一雄などに、食通というのは、大食いの事をいうのだと真面目まじめな顔をして教えて、おでんや等で、豆腐、がんもどき、大根、また豆腐というような順序で際限も無く食べて見せると、檀君は眼を丸くして、君は余程の食通だねえ、と言って感服したものであった。伊馬鵜平君にも、私はその食通の定義を教えたのであるが、伊馬君は、みるみる喜色を満面に湛え、ことによると、僕も食通かも知れぬ、と言った。伊馬君とそれから五、六回、一緒に飲食したが、果して、まぎれもない大食通であった。

 安くておいしいものを、たくさん食べられたら、これに越した事はないじゃないか。当り前の話だ。すなわち食通の奥義である。

 いつか新橋のおでんやで、若い男が、海老えびの鬼がら焼きを、箸で器用に剥むいて、おかみに褒られ、てれるどころかいよいよ澄まして、またもや一つ、つるりとむいたが、実にみっともなかった。非常に馬鹿に見えた。手で剥いたって、いいじゃないか。ロシヤでは、ライスカレーでも、手で食べるそうだ。




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